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東京地方裁判所 平成2年(ワ)1617号 判決

原告

出永和八

出永コギエ

右両名訴訟代理人弁護士

佐伯幸男

浅井利一

被告

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

小池晴彦

外四名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、①原告出永和八に対し、金四四八六万円及び内金四〇七九万円に対する昭和六二年二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を、②原告出永コギエに対し、金四三一〇万円及び内金三九一九万円に対する昭和六二年二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を、各支払え。

第二事案の概要

原告らは、亡出永和範(以下「亡和範」という。)の父母であるが、亡和範が海上保安庁の職員(航空員)として遭難者の救助に向かうため飛行機に搭乗したところ、その飛行機が墜落して死亡した事故につき、機長ないし副操縦員に過失があったとして、被告に損害賠償の請求をした。

これが本件であり、その訴訟物は、国家賠償法一条一項に基づく請求権である。

一争いのない事実

1  海上保安庁所属ビーチクラフト式二〇〇T型JA八八二五(以下「本件事故機」という。)は、昭和六二年二月一七日午前七時一四分頃、漁船から転落した遭難者を捜索し救助するため福岡空港(海上保安庁第七管区海上保安本部福岡航空基地)を離陸し、有視界飛行により長崎県茂木沖へ向かった。

本件事故機には、機長(児玉光雄)のほかに、亡和範を含めた海上保安庁職員四名が搭乗していたが、実際に本件事故機を操縦していたのは副操縦員(北原良二)であり、その右側に機長が座っていた。

本件事故機は、離陸後直ちに右に旋回し、当初の飛行計画(唐津、平戸を経由する計画)とは異なり、野母崎東方に向かう脊振山越えの経路(脊振山と九千部山との間を抜ける経路)をとり、おおむね国道三八五号線に沿って南西に航行したが、脊振山(標高 1054.8メートル)からほぼ南南東に延びる稜線の東側斜面に接近し、午前七時一八分頃、福岡市早良区大字板屋字立拝山九一林班内の脊振山の斜面に右主翼端から接触し、雑木林を約九〇メートルにわたって切り倒して墜落した(脊振山の山頂から南南東約1.5キロメートルの地点 標高約九六〇メートル、平均勾配約四〇度 以下「本件事故」という。)。

その結果、本件事故機の搭乗者全員が即死した。

2  原告らは、亡和範の父母であり、その相続人である。

二争点

本件事故機の機長ないし副操縦員に過失が認められるか。

1  原告の主張する過失(一)

本件事故機の機長(ないし副操縦員)は、本件事故当日の福岡管区気象台発表の午前六時の予報及び福岡航空測候所の午前七時の航空気象レーダーのエコーによって、天候が悪化しつつあり、とくに脊振山付近に雨雲が増加していたこと及び脊振山に南風が吹いていたことを知っていたし、実際に南面里付近で雲に遭遇したから、同所上空にさしかかった際、進路前方に雲等の視程障害現象が発生することを予見し、有視界飛行により脊振山系の東北側を南に航行することが困難であると判断して、福岡空港に引き返す義務があったしかるに、本件事故機の機長(ないし副操縦員)は、これを怠り、漫然とそのまま南下したため、視程障害現象に遭遇し、脊振山山系を視認できず、脊振山の前記斜面に接触して墜落した。

(被告の主張)

本件事故機が有視界飛行をすることができないような視程障害現象に遭遇することは誰にも予見できなかったから、本件事故機の機長(ないしは副操縦員)には南面里付近において福岡空港に引き返す義務はなかった。

2  原告の主張する過失(二)

本件事故機の副操縦員(ないしは機長)は、南面里付近上空で右旋回をした際、すでに本件事故機が脊振山山系に接近していたから、その東北に雲等の視程障害現象が発生することを予見し、一刻も早く左旋回を開始する義務があった。しかるに、本件事故機の副操縦員(ないし機長)は、これを怠り、左施回を開始する時機を失して、板屋峠付近を南下し、脊振山の前記斜面に接触して墜落した。

(被告の主張)

本件事故機は、南面里付近で右旋回をした後、予見不可能な視程障害現象及び乱気流に遭遇し、予定していた標準旋回をすることができず、結果的にはほぼ直線的に航行して、脊振山の前記斜面に接触して墜落した。したがって、本件事故は、不可抗力によって発生した。

3  原告の主張する過失(三)

本件事故機の副操縦員(ないし機長)は、南面里を通過した後、小さな半径で左旋回をする義務があったのに、これを怠り、漫然と大きな半径で左旋回をし、脊振山の前記斜面に接触して墜落した。

(被告の主張)

本件事故機の旋回半径が拡がったのは、本件事故機が予見不可能な視程障害現象及び乱気流に遭遇したため、急遽その揚力を上げる措置をとった結果であるから、本件事故機の副操縦員(ないし機長)に過失はない。

第三争点に対する判断

一まず、本件事故の原因について検討する。

1  本件事故当日の気象等に関して、次の事実が認められる。

(一) 本件事故当日午前三時には、東シナ海には前線上の波動があって、九州南部に温暖前線が延びてきた。右温暖前線の前線面は九州北部地方の上空に達し、福岡平野及び脊振山はその前線面下の寒気団の中にあった。そのため、九州北部地方の天気はしだいに崩れてきており、福岡管区気象台発表の午前六時の天気予報によれば、本件事故当日の九州北部地方の天気は、「曇りときどき雨、夜は雨」であった(〈書証番号略〉、鑑定人宮澤清治の鑑定の結果、弁論の全趣旨)。

(二) 気象庁福岡航空測候所(福岡空港所在)の本件事故当日午前七時の気象観測値は、「視程二〇キロメートル、雨、雲量八分の一 積雲 雲高三〇〇〇フィート、雲量八分の三 層積雲 雲高四五〇〇フィート、雲量八分の八 高層雲 雲高一〇〇〇〇フィート、気温八度C、露点温度二度C」であり(〈書証番号略〉)、福岡空港から南南西約一八キロメートルに位置する脊振山の山頂まで視程が及んでいた(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)。そして、右福岡航空測候所の午前七時の航空気象レーダーによると、福岡空港と脊振山との間及び脊振山と九千部山との間に雨雲の存在を示すエコーが点々と表示されており、脊振山の付近に雲が点在していた(鑑定人宮澤清治の鑑定の結果)。

また、右福岡航空測候所の午前七時三〇分の気象観測値は、「視程一五キロメートル、雨」であった(〈書証番号略〉)。

(三) 航空自衛隊脊振山レーダー・サイト(事故現場の北西約1.5キロメートル 標高一〇五五メートル)の午前七時の気象観測値は「風向二一〇度、風速四ノット、視程八キロメートル、雨、雲量八分の八 層積雲雲高五〇〇〇フィート、気温二度C」であり、午前八時の気象観測値は「風向二二〇度、風速二ノット、視程〇、雨と霧で雲の中、気温二度C」であった(〈書証番号略〉)。

(四) 長崎海洋気象台長崎空港出張所(野母崎の北北東約四〇キロメートルに所在)の午前七時の気象観測値は、「風向一六〇度、風速一三ノット、視程一〇キロメートル、雨、雲量八分の一 積雲 雲高三〇〇〇フィート、雲量八分の六 層積雲 雲高四五〇〇フィート、雲量八分の七 高積雲 雲高一〇〇〇〇フィート、気温八度C、露点温度六度C」であった(〈書証番号略〉)。

(五) 本件事故が発生した午前七時一八分頃、福岡空港の上空はすべて雲で覆われ、同空港から脊振山の稜線はぼんやりと見えたが、その山頂付近は雲がかかって見えなかった(〈書証番号略〉)。

また、本件事故現場の北北東約1.5キロメートル、標高六〇〇メートルの場所から見ると、午前七時三〇分頃には本件事故現場付近は小雨で雨雲が薄くかかっていたが、それから三〇分後には全く視界が効かなくなった(〈書証番号略〉)。

(六) 一般に海抜一〇〇〇メートルの山岳地帯が温暖前線の前線面の寒気団中に位置する場合において、山頂を乗り越えた気流が下降するとにわかに雲が発生したり(雨が振るときは一層その傾向が強くなる。)、あるいは、急激にいわゆる山岳波ないし乱気流が発生するおそれがある(鑑定人宮澤清治の鑑定の結果)ところ、右に認定した各事実、とくに①本件事故当日、九州北部地方の天候は温暖前線が延びてきたために次第に悪化していたうえ、脊振山は温暖前線の前線面下の寒気団中に位置したこと、②本件事故当時、脊振山の山頂付近には雲がかかっており、その稜線を南から北に越えて来る弱い気流があったことを併せ考えると、本件事故当時、局地的に、かつ急激に、脊振山山系の稜線を南から北に越えてきた弱い気流によって雲等の視程障害現象が発生し、また、同山系の北側に乱気流が発生した蓋然性が高い。

2  次に、右の雲等の視程障害現象あるいは乱気流が本件事故機の飛行に及ぼす影響について検討する。

本件事故機は有視界飛行をしていたが、右有視界飛行は、目標物を視認しつつ位置を確認して飛行する方式であるから、雲等の視程障害現象に遭遇すると飛行することが困難になる(証人那須の証言)。

また、一般に、乱気流に遭遇すると、、飛行機の姿勢が不安定になって揚力が落ちる、したがって、その揚力を保持するためには傾斜角を少なくして飛行せざるを得ないが、そうすると旋回半径が拡がってしまう、そして、本件事故機(全長13.34メール)のような小型飛行機の場合には、比較的弱い乱気流であっても、右のような影響を相当受ける可能性がある(〈書証番号略〉、証人那須の証言)。

3  また、本件事故機が墜落するまでの経緯等は、次のとおりである。

(一) 本件事故機の機長の総飛行時間は五三八一時間余であり(ちなみに、副操縦員の総飛行時間は六七八時間余である。)、昭和六〇年四月福岡航空基地着任後の飛行時間は約一一五〇時間であるから、機長は飛行機の操縦につき豊富な経験を有していたばかりでなく、福岡空港周辺の地形、気象を熟知していたし、本件事故が発生するまで本件事故機の強度、構造及び性能に異常はなかった(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)。

(二) 本件事故機は、本件事故当日午前七時一二分〇〇秒に「離陸準備完了。右旋回にて南西に向かう。高度三〇〇〇フィートまで上昇する。」旨通報した後離陸し、午前七時一五分ないし一六分頃福岡空港から南約九キロメートルの惠子付近を飛行したが、その上空は灰色の雲で覆われており、本件事故機の進路前方に雲が点在していたほか、脊振山には雲がかかっていた(〈書証番号略〉)。

本件事故機は、午前七時一六分二〇秒、福岡飛行場管制所(福岡タワー)に「福岡空港の南五マイル、高度約三〇〇〇フィートで、管制圏を離脱中である。」旨の通報し、午前七時一七分頃前記福岡航空基地に巡視船艇の現場到着について問合わせをしたが、気象状態に関する問合わせをしなかったし、本件事故の発生ないしその原因に関する通報も一切しなかった(〈書証番号略〉、証人那須の証言)。

(三) 本件事故機が当初の飛行計画(唐津、平戸を経由する計画)を変更して野母崎東方に向かう脊振山越えの経路(脊振山と九千部山との間を抜ける経路)をとった理由は、本件事故機が離陸する当時玄海灘方面から雨雲が南下してきていたが、右脊振山方面には雨雲が少ないうえ、最短距離で海難現場に急行することができることにあったと認められる(証人那須の証言、鑑定人宮澤清治の鑑定の結果、弁論の全趣旨)。

そこで、本件事故機は、福岡空港を離陸後直ちに右に旋回し、付近の雨雲の状況を考慮し、かつ、捜索救助業務を適正に遂行するため、高度約三〇〇〇フィートで(航空法八二条一項参照)、おおむね国道三八五号線に沿って南西に航行したが、その後南面里付近上空で雲に遭遇したため一旦右に旋回し、さらに進路を維持するために左旋回を開始したものの、機体をやや上昇させた状態で、右主翼端から脊振山の前記斜面に接触して墜落したと推認される(〈書証番号略〉、証人那須の証言、検証の結果、弁論の全趣旨)。

二進んで、右の雲等の視程障害現象及び乱気流の発生に関する予見可能性について判断する。

1  本件事故機の機長ないし副操縦員は、本件事故当日福岡空港を離陸するまでに、少なくとも、①気象庁から入手した福岡基地午前三時の地上天気図、②福岡管区気象台発表の午前六時の天気予報、③前記福岡航空測候所の午前七時の気象観測値、④前記福岡航空測候所予報官の空港気象レーダーの雨域、雲域、エコー分布状況等をふまえた説明等により、気象情報を把握していたことが認められ(証人那須の証言、弁論の全趣旨)、したがって、機長ないし副操縦員は、本件事故当日にはやがて低気圧が発生し、九州北部地方の天候がしだいに崩れてきていること、しかし、その天候の悪化はさほど急激なものではないことを認識していたと認められる。また、さきに認定したとおり、惠子付近上空から脊振山にかけて雲が点在していたから、もとより機長ないし副操縦員は、本件事故機から進路前方に雲が点在していたことは認識していたというべきである。

そして、山岳等地形の複雑なところでは、天候が局地的にかつ急激に変化することは気象学の一般常識であるから、本件事故機の機長ないし副操縦員もそのような一般常識を有していたことを推認することができる(証人那須の証言)。

3 しかし、一般に、雲等の視程障害現象及び乱気流の発生する時期、場所等について具体的に予測することは困難である(鑑定人宮澤清治の鑑定の結果)ところ、さきに一、1において認定した事実によれば、本件事故機が本件事故当日午前七時一七分頃までに飛行した経路(高度約三〇〇〇フィート)には雲底まで十分な間隙があり、脊振山の稜線はぼんやり見え、有視界飛行を妨げるような気象状態はなかったし、むしろ前記雲等の視程障害現象及び乱気流は、局地的に、かつ、急激に、発生した蓋然性が高い。

加えて、本件事故機は、遭難者を救助するため緊急に海難現場に向かう使命を帯びていたから、その機長ないし副操縦員が、右使命を早急に達成するために、自己を含めた搭乗員の生命身体の安全を確保できる限り、手段、方法を尽くして脊振山と九千部山との間を抜けて脊振山を越え長崎県茂木沖へ向かおうとしたことは、容易に理解できるところである。

3 以上検討したところを総合すると、本件事故機は、南面里付近上空で右に旋回したが、その後脊振山と九千部山との間を抜ける脊振山越えの経路に向かうため左に旋回しようとした際、数分前に福岡空港を離陸したときにはもちろんその直前においても、予見することのできない急激な天候の悪化、すなわち、局地的にかつ急激に発生した雲等の視程障害現象及び乱気流に遭遇し、視程が著しく低下した状態で、揚力を保持するために傾斜角を少なく取って左旋回を開始したものの旋回半径が拡大して、さきに認定したとおり脊振山の前記斜面に接触して墜落した、という蓋然性を否定することができない。

そうすると、本件事故機の機長ないし副操縦員が、右1の認識ないし一般常識を有していたとしても、南面里付近上空を航行中においては、もちろんその後の航行中においても、右の局地的で急激な視程障害現象及び乱気流が発生することについて予見することができたというにはなお躊躇される。

三以上によれば、原告の主張する過失(一)、(二)は、いずれも雲等の視程障害現象が予見可能であったことを前提とするから、失当である。

また、原告が主張するように(原告の主張する過失(三))、本件事故機の旋回半径が拡がったとしても、それはさきに認定したとおり、乱気流の影響を受けないように本件事故機の姿勢を安定させ、揚力を保持するためにとられたやむを得ない措置であった蓋然性が残るから、未だこれをもって副操縦員(ないしは機長)の操縦に過失があったということはできない。

四よって、原告らの請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官増井和男 裁判官花尻裕子 裁判官中西茂は、転官のため署名押印することができない。裁判長裁判官増井和男)

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